パパだってやるんだぞ -4ページ目

1歳になった

5月6日で、太樹はめでたく1歳になった。


子どもが、無事に健康で誕生日を迎えられるというのは、親として

何にも増して幸福なことだ。


当日は、午後からパーティーの準備。

ママと一緒に作った色紙のチェーンを一番広いお茶の間に飾り、

パパが作った横断幕(大袈裟!)を貼り、スペシャル・ディナーを

完璧なものにすべく各々の分担した料理を真剣にこしらえた。


夜の7時半、パーティー開催。

ちょっとお洒落をした太樹の目の前には、本人もたじろぐほど普段

とは異なる見栄えの料理が並んだ。


雲丹と生クリームのパスタ(ベイクド・ミニ・トマト添え)

ハーブ鶏ソテーと茸のスープ(ポテト添え)

温野菜2種

ごぼうのサラダ(マヨネーズ風味)

オレンジ


そして、


バースデイ・ケーキ(ろうそく1本付き)


ケーキだけはちょっと楽をして、既成のスポンジ・ケーキを使って

しまったけれど、あとは理想通り全て手作りでするという目標が

達成された。


「うむ、これがやりたかったのだ」と(殆ど職人気質の)パパとして

は満足。


たった1本だけ燃えるろうそくの炎を見て太樹は何を思ったのだ

ろうか。食事中も、そのあとのプレゼント贈呈式の間も、太樹はいたく

ご機嫌だったのでそれだけで充分なのだが。


沢山の人からのプレゼント、電報、お祝いのメールや電話を貰い、

本人にも増して感動した1日だった。


来年はどういう演出にしようかと、パパの小さな野望には既に火が

ついている。

『すくすくの樹』

sukusuku1


太樹は、5月6日で1歳になる。


大病もせずに最初の誕生日を迎えられるのは、親として

これ以上の幸福はない。多少我がままでも、泣き虫でも、

子どもが健康で無事に過ごしてくれれば、他に多くは

望むまい。


このほど、太樹の誕生日記念ということで小さいながらも

写真集を作ることになった。誕生から最初の365日のでき

ごとを綴ったアルバムだ。

厳選した写真を日付順に並べ、コメントをつけ、ハード

カヴァーの装丁とした。


パパとママの両親や兄弟姉妹にも同じものを送ってみた

が、これがなかなか好評。すぐに調子づくパパは、それに

味をしめて毎年作ろうと決意した。


sukusuku2  



ファイナル・ラップ(さいごのいっしゅう)

2004年10月末より取得していた育児休暇もいよいよ終わろうとしている。


休暇の前は、半年って長いよな、と思っていたのが、終わってみれば

何と短い時間であったことか。


はじめの数ヶ月間は、太樹が全然僕になつかず、日々傷つき、落ちこみ、

休暇など取らなければ良かったと何度思い、幾度はらはらと落涙したこ

とか。「やはり育児とは女性でなくてはならぬか」と諦観を抱きさえした。


しかし、気がつけばいつの間にか様相は異なったものになっており、

太樹もすっかり僕に馴れた。というより、もう「べったり」。


子育てをしていて、これほど嬉しいことはないだろう。子どもが親に伝え

ようとしている感情や思いは、その小さな手の温もりに、その愛くるしい

笑顔にはっきりと見て取れる。これまでの苦労も、これからするであろう

苦労も全てを享受できる。そう自信を持つことができる。言うまでもなく、

これはとても幸福なことだ。


日々太樹と戯れ、一緒の食事を満喫し、新しい発見をさせてやりたいと

思う。片時も離れずに見守り、太樹が微笑みかけた時にはいつでも傍に

いて、キャンディーズのように微笑み返しをしてやりたい。


しかし、半年という約束の時間は終わろうとしている。僕はもうひとつの

パラレル・ワールドに帰還しなくてはならない。会社で仕事をするという

もうひとつの世界。


5月9日より職場に復帰する僕にとって、いよいよ最後の1週間が始まろ

うとしている。自動車レースで言えば、「ファイナル・ラップ」だ。「最後の

一周」ならぬ、「最後の一週」。


正直に言って、休暇の終わりはかなり寂しく、そして辛い。


実は「周回遅れ」になっていて、「もう一週残ってるんだよ」ということに

はなっていないだろうか・・・・。


なっている訳ないよな・・・。

パチパチから10日後

太樹が初めて「パチパチ」をしてから10日が経った4月27日の

できごと。


関東地方は最高気温が22度まで上がり、さながら初夏の

様相。ただ風が強い。


午後に散歩をしていたら、前方から吹いてくる強風を全身で

受けた。ベビーカーに乗っていた太樹とてやはりそうだった。

しかし、彼はその風を受けながら背筋をしゃんと伸ばし、何故

か両手をあげて何やら唸りだした。


「ёиШ~д○£Ф$☆лЧБ¢∠ヾ」


おいおい、どうした、と思っていた矢先、今度は両手を振り

バイバイのような仕草をしたのだ。


パパ、歓喜。


そばを通る通行人が気になったけれど、もう今しかチャンスは

ないと思い、パパは


「太樹ぃぃぃぃぃ! やったじゃん!! それがバイバイだよ!

いい? ちゃんとおぼえて!! バイバイって! ね!」


頭をなでながら、本人には何かすごいことをやったんだと

思わせ、それをバイバイであるとことばですりこみの作業を

した。


その効果は絶大で、帰宅してからもパパが「バイバイは?」

と言えば、太樹はきちんとバイバイをするようになった。

うむ。まさに機を見るに敏(自分で言うなよなぁ)。


夜になって帰宅したママに、「ちょっと見せるものがあるんだ」

と少々謎めかしてから太樹のバイバイを披露。勿論、ママも

歓喜。


よし、次なる芸の準備にとりかかるぞ。

オマール・エビ

bibiri



食事の準備をしながら音楽を聴く。

一日の中でパパが楽しみにしている大切な時間だ。

ロックあり、ポップあり、クラシックあり、ジャズあり、テクノ

あり、映画のサントラあり・・・とにかく好きなジャンルは多い。

おかげでCDも山となり、ママの小言は尽きない。


その貴重な時間も、太樹に邪魔をされてしまい、1曲でも

きちんとまともに聴いたことがない。ちょうど太樹の手が届く

高さのキャスターにプレーヤーが載っているものだから、

ずりずりと這ってきてはむくりと立ち上がり、やがてがちゃ

がちゃとそれをいじり始めるのだ。

CDからFMへと切り換わったかと思うと、電源はオフになり、

いつしかMDが選択され、それも数秒後にはAMのチャンネ

ルにチューンされている。

やれやれ。


いつだったか、太樹が同じようにプレーヤーをいたずらして

いたときに、ヴォリュームを換えるダイヤルを力いっぱい

右へ回してしまったことがあった。響き渡ったのは、勿論

壮絶な大音量。太樹はオマール・エビのようにびょんっと

後方へ飛びのき、次の瞬間にしりもちをついた。そして、

ガンガンと鳴り響く音に負けないくらいの大きさの泣き声を

発した。本人も驚いたのだろう。

やれやれ。うちはサントリーホールじゃないんだから、そん

なに音響は良くないんだぜ。


実は、その時パパは太樹をなだめつつ、「とあること」を考え

ていた。即ち、


「太樹もこれでプレーヤーのいたずらには懲りるだろう。

もう触ることもしないだろうから、きっとパパはゆっくり音楽を

聴くことができるぞ」


ということだった。




そして、その読みは当然、はずれた!!!





駄目。ぜんっっっっっぜん、懲りない。

今日も、購入した新譜を聴こうとわくわくしていたのに、前奏すら

まともに聴けない。

やれやれ。


みんなが寝静まってから、書斎にこもってひとりヘッドホンで

聴くしかないな。

およげ、こいのぼりくん

koinobori


太樹の初節句を祝って、先週鯉のぼりをあげた。


拙宅は住宅街の真ん中にあり、目立つほど大きな鯉を飾る

のも気がひけたので、「そこそこの」ものを選んだ。


しかし、そこはやはり住宅街。

大した風も吹き込んでこないので、鯉は多少左右に揺れる

ことはあっても、たなびくほどにはならない。


悠々と大空を泳ぐように太樹にも大きく飛翔して欲しい、と

いう願いをこめているのに、いささか残念ではある。


「よし」とそこでパパは思う。

「鯉が泳がぬのなら、太樹には、この鯉のように何があって

もしぶとくしがみつく頑固さと忍耐強さを持って欲しいという

願いに変えてしまおう」


パパは正当化がはやいのだ。


しかし、鯉は果たして大丈夫だろうか。


♪ まいにち まいにち ぼくらは 鉄ポールの

♪ うえにつるされて いやになっちゃうよ


などと歌って、ある朝パパと喧嘩して近くの池に飛び込んで

しまわれては困るなあ。




写真:太樹と鯉のぼりと愛車とナンジャモンジャの樹

結婚記念日に

4月23日は、パパとママの結婚記念日だった。

まる10年が経つ。

過ぎてしまえば、長い長いと思っていた10年という歳月もあっと

言う間である。

 

そして、その記念すべき日に起こったイベントは、太樹の発熱。

突発性発疹からまだ然程日があいていないのに・・・。

 

一時は39度まで上がり、ひきつけを起こしはしないかとはらはら

させられた。真夜中過ぎまで氷枕や保冷材を使って、頭やら

脇の下やらを冷やし、まんじりともせず朝を迎えた。

 

翌24日の朝には、太樹はけろりとしていた。

パパやママより早起きをし、おもちゃ箱をひっくり返してはひとり

遊びに興じている。

「おいおい、もう昨日のことはおぼえていないのか?

こっちは寝不足だど」

 

何にせよ熱がひき、本人にも元気が戻ってきたのでとりたてて

文句もない。「結婚10周年記念パーティー」は延期とし、パパ

が買いに行く予定だった「記念品」もしばしの間おあずけと

なった。

 

旅行や大きなイベントの日に限って子どもというのは熱をだし

たりするものだ、とは常に言われてきた。しかし、まさかそれが

結婚記念日にぶちあたるとは予想がつかなかった。まだまだ

「読み」が浅いな。

 

ここで、パパは大好きなことばを思いだす。

 

"Life is what happens to you while you are making other plans."

「人生とは、何か計画をしているときに起こってしまう『他の

できごと』なのだ」

 

うむ。かくしてまた少し寛容さを身につけたか。

 

しかし、今回の発熱は一体何だ?

風邪でもなさそうだし、麻疹などの流行性のものでもなさそう。

所謂「知恵熱」というものか?

遅まきながらのパチパチな幸せ

遅まきながら、太樹が拍手することをおぼえた。

最初にやったのは4月17日、と帳面の日記にはある。

(最近は「帳面」なんて言わないよなぁ)

パパが牛のモーモーで太樹と遊んでいたときのこと。

正座した脚の間にモーモーを隠しつつ、開脚した隙間

から徐々にその姿を現すと、太樹はいつものように興奮

した。それを3度ほどくり返すと、興奮が頂点に達したと

見えて、太樹は膝立ちをし、おもむろに拍手をした。

目をくわっと見開き、口を大粒のアーモンドのような形に

して、「ええど、ええど」という感じ。

嬉しさのあまり、パパも拍手をしてしまう。

一度拍手をおぼえてしまえば、あとはそれを「パチパチ」

であると認識させて、それで芸がひとつ増えた。

今では、「太樹ぃ、パチパチは? パチパチして」とパパ

が言えば、「イイ顔」 と同じで一生懸命にやってくれる。

今日は雨上がりの青空がとても気持ちがよく、午後には

買い物を兼ねた散歩にでかけた。

太樹をベビーカーに乗せ、道すがら見える八重桜を観賞

しつつ、うららかな春の陽射しを全身に浴びる。吹く風が

心地よい。

「太樹ぃ」とパパは声をかけた。「気持ちがよくて、何だか

幸せだと思わない? 幸せならパチパチしよう」

一心不乱に前方を睨んでいたかと思っていた太樹は、

パパのことばに応えてパチパチパチと拍手をしてくれた。

「幸せだからパチパチ」というよりも、パパにとっては

「(太樹の)パチパチが幸せ」なのであった。

たぶん大丈夫じゃないパパ

ならし保育に関わるリポート:

 

2日目と3日目と、保育園では太樹が大泣きしたので、帰り際もうしろ

髪を引かれ、胸ひしぐ。僅か3乃至4時間のならし保育なのだけれど、

その僅かな時間だけでも太樹と離れているのが嫌だと思う。

 

ふたり一緒だと、太樹はパパが掃除機をかける時は邪魔をするし、

パパが料理をしている時は邪魔をするし、パパがメールのチェックを

している時は邪魔をするし・・・・・エトセトラ、エトセトラ。

 

しかし、何かをしているパパを、泣きやらぐずりやら手で叩くやらと

いった手段で邪魔をする太樹がすごく愛しいのだと判った。

換言するならば、太樹に邪魔をされながらも何かをきちんと成し遂げ

ることにすがすがしさや、もしかしたら達成感のようなものを感じて

いるのだ。我ながらちょっと変だな。でも本当にそうなのだ。

 

この3日間、パパは昼食をひとりぼっちでとっていた。

最初の日は、レトルトのカレー(実に久しぶりに食べた)。

2日目は、前日の残り物のご飯を温めて、おからと切干大根、それ

と納豆。味噌汁を作る気分ではなかったので、緑茶をいれた。

3日目も似たようなもので簡単に済ませてしまった。

 

要するに、太樹がいないと、きちんと昼食を作る気がしないのだ。

会話にならないながらも太樹に話しかけ、太樹の喜ぶ顔を見ながら

一緒に食事をするのが楽しみなのだ。ひとりでとる食事になんて

期待も満足感も何もない。

 

本当に寂しい3日間・・・・・・・・・・の午前中。

 

このならし保育も終わって、パパが仕事に復帰したなら、太樹と

離れている時間が今よりもずっと長くなる。

 

大丈夫か、パパ?!

 

男だけど「WM友の会」参加:ふたり目どうする?

ふたりめの子ども・・・できれば欲しい。

というのが、僕の率直な意見。

 

太樹だけに親の愛をめいっぱい注ぐのも勿論それはそれでいい。

しかし、ひとりっこで育つよりも、身内と互いに競ったり、喧嘩したり

することが、人間の成長過程では重要な要素だと思っている。

 

僕が3人兄弟で育ったというのもある。その楽しさを充分に知って

いるのだ。将来にわたって信頼し合い、助け合える兄弟姉妹が

いるというのは、それだけで貴重な財産である。

 

あとふたりというのは、現実的に考えてまず無理だろう。しかし、

せめてあとひとり、というのは僕の切実な願いになりつつある。

 

一方、妻はどうか。

彼女がもうひとり産むわ、という気持ちになってくれないと、僕の

願望も空回りするだけだ。

 

妻も、もうひとりが欲しくないわけではない、と言う。

そのことばの裏に隠されたニュアンスは、彼女が語るまでもなく

僕には判っている。

 

全ては「子育てをする環境」にあるのだ。

今の日本で、喜んで(あるいは頑張って)子どもを産むわ、と女性

に思わせるような要素が果たしてあるだろうか。

 

子育てにはお金がかかる。しかも、かなりかかる。

地域によっては保育施設などのインフラが不足している。

大きくなって学校にやろうにも、教育レベルは低下しすぎている。

働きつつ育児をしたいという人にとって、両立できるような労働環境

が整ってはいない。

酷い犯罪が多発し、心やすんじて生活がしにくい。

などなど、劣悪な状況は枚挙にいとまがない。

 

子育てをすることを悲観的視座から見ているつもりはないけれど、

今の状況として見えてくるのはそうした悲痛なものばかりである。

こうした環境が、女性の遺伝子に何がしかの影響を与えていない

とは言い切れないだろう。

 

「子は産むな。今、出産してもロクなことはないぞよ」

 

という声が妻を含めた多くの女性の無意識下に仙人のことばの

ように染み付いているのだ。たぶん。

 

高度成長以来、経済大国になるべく邁進してきた日本という国の

抱える宿痾(しゅくあ)は、生半可な治療では治らない。

女性が「こういう環境なら子どもを産んでも大丈夫ね。よし、

産んでみよう」と思えるような環境づくりが必須なのだが、国が

状況改善を計るためのドラスティックな策を講じる様子はない。

全くない。

 

よって、冒頭に書いた僕の希望は、叶わぬ願いになってしまい

そうである。