パパだってやるんだぞ -3ページ目

七夕に願うこと、みっつの「無」

忙しさにかまけてすっかり忘れていたけれど、まもなく七夕で

はないか。きちんと年間行事を意識しながら生活しなくては、

と反省。


保育園の玄関に笹が立てられ、そこに園児たちの願い事を

書いた短冊をぶらさげることになった。「パパとママが一緒に

願い事を書いて下さい」と言われたので、まだ字を書けない

太樹のためにふたりで代筆をした。


「ずっと健康で楽しく暮らせますように。 あべたいき」


文の前半をパパが、後半をママが書いた。ちょっとおまけで

飾り罫とイラストをパパが追加。


シンプルだけれど、親として願うのは何よりもこれ。これに

尽きる。太樹本人としては切実な願い事は他にあったかも

知れないが、今年は我慢してもらいたい。


このところ、以前にも増して太樹の体調が気になり、何処か

悪くなってやしないかと半ば神経質になっている。心の底から

こいつを守ってやらなくちゃいけないんだ、と思う。

そう思わせるのも、みっつの「無」があるから(逆説的だが)。


それは、「無垢」「無邪気」「無防備」


他にもあるかな・・・・。考えてみよう。

ポスト中耳炎

やれ高熱だの、やれ切開で治療だの、やれ投薬だのと、散々

振り回された「中耳炎ウィーク」もようやく終わりを告げた。

会社を夕方5時きっかりにでて、バスと電車を乗り継いで太樹

を迎えにゆき、そのままタクシーで耳鼻科へ通った日々も今は

昔・・・・・・ってほど昔じゃないだろ。

今週は、保育園でプール開きもあるので、それまでに耳の

治療が終わってホッとしている。


さて。


病院で切開して耳から膿を取りだしてから太樹の熱も下がり

機嫌も良くなった訳だけれど、他にも目に見えて変化が起こっ

た。


まず、発することばの数が増えた(あるいは、しゃべる回数が

増えた)。ひとり遊びをしていても、抱っこされてご機嫌な時も、

理由は不明だが憤懣やるかたなしという時も、意味不明なこと

ばをまくしたてている。こちらが相槌を打とうが打つまいが全く

お構いなしでしゃべり続ける。


そしてもうひとつの変化は、これまで崩すことしか知らなかった

積み木を、自ら積み重ねることを覚えた。今日までの最高記録

は4つ。4つまで積み木を立てに積み重なることができるように

なったのだ。しかもここ1週間ほどの間で。


更に。

食事の際は、自分で手にしたフォークでおかずを「ぷすり」と

さして食べる楽しさに目覚めた。どちらかというと、これが今頃

できるようになったのは、他の子と比べて遅い方かと思われる。

今までは綺麗に食べさせようという気持ちから、パパとママが

太樹の口に殆ど運んであげていたような気がする。


ともあれ、中耳炎を境として(変な境だなぁ)、太樹が大きな

変化を見せたことはこの上ない喜びである。





頭が陽炎みたいに

話は遡るけれど、6月16日(木)から語ろう。


その日は、パパは午後から休暇を取り、太樹を保育園に迎えに

行った。午後は、はしかの予防接種があるのだ。


小雨のそぼ降るなか地元のクリニックへ向かい、診察室で先生

の診察を受ける。その先生(あまり表情が豊かではない)が、ど

うも渋い表情をしているなと思っていたら、案の定「今回の接種

は見送った方がいいでしょうね」と言われた。

1週間前に治ったと思っていた風邪を、まだ引きずっているよう

なのだ。まあ、仕方あるめぇな、と諦めて帰宅するも、折角の

午後休を活用できなかったなと残念。


6月17日(金)。

この日は、パパの会社は社休日。久しぶりに太樹とふたりで

のんびり・・・・・・・したかったのだが、大学病院での検査の予約

が入っている。

太樹は以前「陰嚢水腫」と診断されており(タマタマにお水が

タマってしまうんです)、その症状が改善する見込みがなさそう

なので、設備の整った所で診てもらうことにしていたのだ。診察室

で先生の診察を受ける。その先生(あまり瞬きをしない)が、どうも

渋い表情をしている。すると、その先生曰く、「今日ははっきりした

ことが判りませんから、今度超音波の検査をしましょう」


今度?


パパは「今日は無理ですか?」と尋ねるも、「いやあ、予約制です

から」とすげなく断られてしまう。しぶしぶ1週間後に予約だけ入れ

て家に帰った。


2日間も続けて「空振り」気分で、パパは少々落ち込んでしまった

ことであるよ。


しかし、本当に落ち込むのはこれからだった。


6月18日(土)。

太樹、明け方から発熱。

「(予防接種できなかった)はしかか? それとも水疱瘡か?」と

ママとふたりで焦る。しかし、鼻水もでていないし、本人は至って

元気。食欲もある。


6月19日(日)。

太樹の熱が若干下がった。この日はみんなで朝寝坊。

朝食は、ホットケーキ。昼食は、うなトロ丼。夕食は、チャーハン

と餃子とスープ。

特徴のない1日だったけれど、太樹が落ち着いてくれただけで充分。


6月20日(月)。

太樹の熱、再び上昇。

ママが会社を休んでくれた。病院へ連れて行くと、「夏風邪ですね」

と診断されたらしい。

「はああ、風邪のハシゴか・・・・」とパパがっくし。


6月21日(火)。

パパ、発熱。保育園から連れて帰った太樹と、布団に倒れこんで

しまった。初めて風邪で意識を失う。


6月22日(水)。

ママ、発熱。これで一家全員ダウン。


6月23日(木)。

大学病院で太樹の超音波検査。

やはり陰嚢水腫には間違いがないらしい。このまま放っておくと、

水が入っているタマタマに腸が下りて来てヘルニアを患ってしまう

可能性も指摘された。

手術した方がいいでしょうね、というのが検査担当の先生の判断

だった。


6月24日(金)。

前日の検査を踏まえて、担当医(あまり瞬きしない)と今後の方針

を相談。この日はママが病院へ。

十中八九決定だろうと覚悟していたけれど、やはり手術が必要

と言われると不安がよぎる。入院の日程もこの日のうちに決めた。


6月25日(土)。

太樹の熱は依然として高い。39度を超えている。

ママが太樹を小児科へ連れて行くも、先生は様子見するしかない

ですね、と言うばかり。太樹の耳の中を先生がちらりと覗くのを見て、

ママの脳裏を「あること」がよぎったらしい。

その足で今度は耳鼻科へ直行すると、ずばり「中耳炎ですね」と

言われ長期にわたる発熱の原因が判明した。その場で切開して

膿を取りだし(耳垢も取れた)、薬を処方してもらう。

「夏風邪」と診断され他のケースを全く予想していなかったのは、

まだまだ親として経験が浅いからだな、と痛感。

という感じ。

まさに病に悩まされた日々。

これからも幾度となく太樹の熱やら病気やらには直面するだろうが、

こうまで怒涛のごとく押し寄せてくると、正直に言って疲弊してしまう。

しかも、こっちまで熱をだしていたりすると、頭の中は陽炎みたいに

ユラユラである。

パパの1日

唐突だが、パパの1日の行動のメモ。


6:00 起床。6:30までに弁当を詰め終える。

6:30 太樹、起床。ミルクをあげる。

7:00 3人揃って朝食。

8:10 パパ、出社。ママが太樹を保育園に連れてゆくのは

8:30から9:00の間。


8:40 パパ、会社に到着。17:00までモリモリ働く。ランチ

タイムには、太樹の写真を見ながら、弁当を頬張る(至福)。


17:30 保育園に到着。太樹とともに帰宅。

18:00 この頃、太樹が寝る。パパは夕食の準備。

19:30 ママが帰宅。準備が整い、太樹が起きたら食事。

20:30 太樹、風呂にはいる。

21:00 太樹、就寝。

21:00 パパは翌日の夕食の下ごしらえ。そして、お弁当の

中身を検討する。

22:00 パパ、入浴。

23:30 就寝。


と、だいたいこんな感じで毎日が流れている。


育児休暇中もそうだったけれど、食事の準備には相変わらず

時間をかけている。それほど生活の中で重きを置いていると

いうことになるが、やっぱり食事が基本だよな、と思う。


そして週末は、野菜の煮物やスープの作り置きに精をだすの

である。

ひねもすのたりのたりかな

風邪をこじらせて気管支炎を患っていた太樹だったが、今日の様子を

見るにつけだいぶ落ち着いてきた。痰のからんだ辛そうな咳も、朝から

殆ど聞いていない。


6月10日は、パパが有給休暇を取った。

「あ、ボーナス支給日だな」と思ったけれど、パパが職場に復帰したのは

ゴールデン・ウィーク明けからだったので、さしたる額は支給されまい。

慌てて明細を見る必要もないから、まあいいや。


その休日は、とにかく太樹をゆったりさせることだけに専念した。殆ど

掃除らしい掃除もせず、洗濯もせず、料理も最小限。

太樹のそばにいて、ただ見守っているだけ。パパと遊びたそうな雰囲気

だったら声をかけて一緒に遊んで、ひとりで悪戯をしている時は黙って

それを見ていた。


こういう過ごし方もいいものだ。なんか若隠居みたい。


若隠居・・・・・いい響きだなぁ。

熱、鼻水、結膜炎、そして気管支炎

日記(帳面ヴァージョン)によると、太樹は5月30日に微熱をだした。

その日は、あずけていた保育園から午後はやくに帰宅させる。


微熱の下がった翌日、太樹を保育園につれてゆくも、すぐさま

「迎えにきてくれ」との連絡が入り、これまた午後に早退して、太樹

を家に連れて帰る。


6月1日。微熱は下がらない。この日も保育園早退。


早退が3日も続くと、これはいよいよ状況は深刻である。しっかり

休ませて完治させないと、あとあと大変なことになるだろうと心配に

なる。しかし、パパもママも会社を数日間続けて休むこともできない

ので、やむなく「SOS」を発信した。

パパは都内の高層ビルの屋上にのぼって、「助っ人願う」という意味

の黄色い狼煙(のろし)をあげた、というのは嘘で、バーバ(パパ方)

に電話を入れたのだった。バーバは宮城県から新幹線に乗って、

その日の夜中にやってきてくれた(涙モノ)。


6月2日。まだ微熱。


6月3日。咳がではじめる。目やにもでているので、結膜炎もおこして

いるようだ。


6月4日。熱は38.4度まで上がる。気が気ではない。そんな日に、

記念すべき「すくすく子育て」がオン・エアされた。全然落ち着いて

見られない。


6月5日。熱は37度台に下がる。


6月6日。いよいよ咳がひどくなり、喉の奥で痰がからんでいる。

熱は下がった。


6月7日。どうやら気管支炎を患っているらしい。新しい薬を処方して

もらう。


6月8日。機嫌はいいけれど、太樹の咳を聞くにつけ、こちらの胸も

苦しくなり、滝のように流れる鼻水を見るにつけ、こちらの鼻の奥

もむずむずしてしまう。


6月9日。まだ太樹はゴホゴホというけれど、「病気」という範疇からは

脱出できた(と思う)。


そして、明日6月10日。パパは有給休暇。朝から晩まで太樹と

一緒だ。ここでしっかり直そうな、太樹。


今回のように太樹が長く苦しんでいると、やはり周囲(特に家族)の

ヘルプは必須だなと実感した。遠くから飛んできて10日間も太樹の

ために尽力してくれてバーバには頭がさがる。自分のことは二の次

でやってくれる姿を見ていると、感謝のことばよりも涙がでてくる。


サンキュウ、バーバ。


そして、太樹。はやく元気になれ。いっぱい遊ぶんだから。






NHK「すくすく子育て」に・・・

6月4日放送のNHK「すくすく子育て」に出演した。

周囲に騒がれるのが嫌だったので(というかかなり恥ずかしいので)

あえて秘密にしていたのだけれど、親族には瞬く間にその情報は

広がり、放送終了後は何件も立て続けに電話が鳴った。


番組を見てこのブログにコメントを下さった皆様方にはこの場を

借りて御礼を申し上げます。いずれ個別に返答ができるように

生活のリズムを調整していますが、目下太樹が高熱を発しており、

長時間にわたってブログの書き込みをするのには、かなり低い

プライオリティーを置かざるを得ない状況でありんす。


太樹の成長のこと、保育園のこと、仕事のこと、秘密にしていた

へそくりのこと・・・・なんかについてたくさん書きたいけれど、今は

大五郎のようにじっと辛抱するのだ。

ネタが古いなぁ、相変わらず。


近いうちに、また書くぞ。

とりあえず1週間経過(もずく状態でのリポート)

さんぽ



パパが職場に復帰して1週間が経過した。


朝早く起床して、ご飯の準備をして、ヒゲを剃って、きちんと

した服に着換えて・・・・というルーティーンが徐々に馴染み

つつある。


太樹も、ならし保育にじっくり時間をかけたせいか、今では

新しい生活のリズムと新しい環境を受け入れつつある。

聞けば、保育園では積極的に遊んでいる様子。何やらひと

りでしゃべりながらおもちゃと戯れているらしい。


育児休暇中はこまめに書き綴っていたこの日記も、当面は

週に一度か二度の更新になりそう。それに、今は何をどう

書いていいのかよく判らないのだ。

パパの頭の中は、「もずく」のようにこんがらがっている。


それにしても、「あの頃」が懐かしいなあ。

平日の昼間に、太樹とふたりで街をあるいて、おしゃべりを

して(尤もしゃべるのはパパひとりだが)、楽しく買い物を

して、家に帰ったら一緒におやつを食べて・・・・。


ああ、あの至福の時間よ、再び!!


と、願う今日この頃のパパ。



写真:育児休暇最後の金曜日に、「太樹ぃ、パパは一日中

お前と一緒にいたいよぉ。もっともっと一緒にいたいよぉ」

と半ば泣きながら家の前で撮った太樹の横顔



今日でおしまい

5月8日で長かった育児休暇もおしまい。


空しいというか、寂しいというか・・・・うまく表現できない。


これからは、会社での仕事と育児と家事とをこなさなくては

ならないので、今まで以上に多忙になることは必至。


そういう訳なので、当面はこまめなブログの更新はできない

だろう。コメントを頂戴する皆様、僕が見て元気づけられる

ブログの管理者様、しばらくはお目にかかることもあります

まいが、落ち着いたら、心境やら太樹の近況やらをアップ

するので、引き続きよしなに。


最終日はさぞかし感慨深いものだろうと思っていたら、

もうすったもんだのバタバタで全然思いをめぐらす余裕なし!


こんなもんか。


明日から背広だあああ。

っていうと、ママが「背広って言わないで。おっさんくさいから」

と罵る。

ポスト0506:バースデイ・ケーキの恐怖

太樹のためにパパとママでこしらえたバースデイ・ケーキのこと。


フルーツをたっぷりサンドし、またトッピングしたあまりできの良くない

ケーキだったのだが、誕生日当日の夜中、太樹が寝てからパパと

ママとでちょっと味見をしてみることにした。


いかにも上品ぶって小さくカットしたそのケーキを口に運ぶと、何やら

変わった香りが鼻腔からぬけてゆく。


「むむむ」とパパは声にださずに思った。


ふたくち目・・・・・・・・・・・・・。


やっぱり何か臭う!! 何だろう。生クリームが悪くなってるのか?

まさか。腐ったような臭いなんかではないのだ。


「ねえ」とパパはママに言った。「このケーキ、ちょっと臭わない?」


ママ曰く「うん、ちょっと・・・・・・・ねえ。何だろう???」


沈黙。


その沈黙をママが破った。


「もしかして、アレかなぁ」


「アレとは?」とパパは尋ねる。


「まな板の上でニンニクを切ってから、そのあとで苺を切ったのね。

勿論、まな板はお湯でさっと流したんだけど・・・・。その臭いかな?」


「あああああああ、もう絶対そう! 

  これ、ニンニク!!」(血の叫び)


口中に漂う異臭が一体何なのかあれこれと推測してみたものの、

ニンニクなんて全く考えつかなかった。いや、「ケーキとニンニク」と

いうコネクションの間には想像もつかない大きな隔たりがある。

「IT企業とわらじ」みたいに。


「ニンニク切ったら、まな板はちゃんと洗剤で洗えよ!!」


残ったケーキは、気合で食べる。