パパだってやるんだぞ -2ページ目

つのる不安(あるいはトリモチ的パパの思い)

延期になっていた太樹の「陰嚢水腫」の手術が明後日と

迫った。


2泊3日という短期の入院で、手術自体も20分程度と

比較的容易なものだけれど、つのる不安は拭いきれず、

入院日が近づくにつれて心は千路に乱れる。


入院当日も検査、検査で、太樹の精神状態が不安定に

なりはしないか。


子どもに全身麻酔なんてホントに大丈夫なのか?


術後の経過によっては、再度手術する可能性もあると

言われたが、果たしてどうなるのだろう。


などなど。


悪いところがあるなら1日でもはやく治療してやりたい

という気持ちがある反面、手術台に載せられて身体を

傷つけられることが許せなくもある。胸が引き裂かれる

思いとはまさにこれ。


ま、あれこれ考えても詮なきこと。病院内では、親とし

てしっかりと太樹の心のケアをし、何事もなく手術が

終了することを祈り、退院したあとは元気に歩き回る

我が子の姿を想像することだ。


という訳で、23日(火)に入院。25日(木)に退院。この

日程に合わせてパパはその週は夏休みを取得。太樹

にべったりと付き添う。トリモチみたいにね。

五十歩百歩

えへへ


いやはや、このところの太樹はよく歩く。

10畳の茶の間の端から端を、肩に力を入れて、ひょこ

ひょこと歩く。今ではUターンやIターン、右折も左折も

造作もなくこなす。


歩き始めた当初は、パパがあぐらをかいて座っている

ところに、


「うきゃきゃきゃきゃ」


と声をあげて歩み寄ってきたものだが、ここ数日は、

敢えてパパのところには来ないで、急に踵を返したり、

別の方向にあるおもちゃのところに歩いてゆくのが

楽しいらしい。


「あれぇ、太樹? こっちに来ないの?」とパパが聞くと、


「いひひひひ」


と笑う。そういうフェイントも本人にはちょっとした悪戯

みたいなものなのだろう。


今は何歩くらい歩くのかな、と思って歩数を数えていた

ら、40歩から50歩くらいが精一杯の様。


大した差(違い)ではないという意味で「五十歩百歩」

と言うけれど、今の太樹にとって、五十歩か百歩かと

いう差はとても大きい。


写真:僕ちょっと疲れたの図。見えないけれど、実は

またまたおむつ丸出し。

はじめの泣き、おわりの泣き

初プール


今日、太樹は初めてプールに入った。

保育園でも「プール日」があるのだけれど、これまでは

中耳炎やら風邪やらで入る機を逸していたのだ。


買ったばかりの「ポケモンプール」を膨らませ、家の玄関

先で水をため、いざ戯れんと太樹を抱いて連れて行った

ところ、声を大にして泣きだした。


「大丈夫だよ。ほらちゃんとパパにつかまって」などと

なだめつつ少しずつ水への恐怖感を取り除いてやる。

ややもすると、今度はキャッキャッと歓声をあげて遊び

だした。


ばしゃ、ばしゃ、ばしゃ。


「キャッキャッキャッ」


太樹の水浴びなのに、はじけ飛んだ水しぶきでパパの

方が水浸しになってしまった。


頃合を見計らって、「そろそろ終わりにするよ、太樹」と

声をかけて抱き上げると、これまた声を大にして泣きだ

した。今度は「もっと遊ぶ!」というサイン。


ふう。


何にせよ、プールが気に入ってくれて良かった。

元水泳部員であるパパの、太樹への特訓は実は今日

からもう始まっているのだ。

TBステーション参加:『かようびのよる』

かようび①


作:デヴィッド・ウィーズナー


とにかく、すばらしいイマジネーション。


台詞は一切なし。


刻まれてゆく時、それとともに深まってゆく夜。

その漆黒の闇の中を滑空する蛙たち。


パパがこの本を読んだのは、今から10年以上も昔。

場所は東京六本木の深夜営業の書店。時刻は絵本と

同じ真夜中。


読む者をわくわくさせる描写力に、六本木の喧騒など

すっかり忘れたパパは、何度も繰り返しその絵本を

読んでいた。


「ああ、こういう絵本は自分の子どもにも見せたいなあ」


そう初めて思ったのを今でも鮮明に覚えている。

そうして購入した『かようびのよる』は、今でも大事に

書斎の本棚に綺麗に並んでいるのだ。まだ、太樹には

読ませずに・・・・。


だって・・・


今見せてしまうと、びりびりとページを破いてしまうから。


今の世の中の子どもたちに欠けているのは、イマジネー

ションだと思う。想像し、それを創造力へと結びつけてゆ

く根源的なパワー。学校の教育もある程度は大切だけれ

ど、「なぜ?」「どうやったらこうなるの?」などという疑問

から発声した好奇心を、刺激し、膨らませ、そして大いな

る感動を与え続けたいと思う。


かようび②

ウィーズナーには他の作品もあるけれど、これがベスト

だと敢えて断言しよう。

切り拓いた・・・・・・かな?

僕が育児休暇を取得したのは、2004年10月から2005年5月

まで。

今では復職し、誰にも負けないくらい汗まみれになって働き、

爪が割れそうになるまで岩をよじ登り、凶暴なサメとの格闘に

も臆することなく、燃え盛る炎の中でも人の命を最優先に行動

し、銀河系の彼方にある惑星から届いた謎の電波の解析に

余念がない。


こういうことを書くと人格が疑われそうなので、真面目に書く。


今では復職し、それでも育児と家事は以前のようにこなしたい

と奮闘しているけれど、時間的な制約があり思うようにはゆか

ない。それでも生活の大事な基盤である食事にしっかりと

携われるのは(大変なことではあるけれど)、嬉しいことだと

思う。食事の内容やリズムが狂うと、大概ろくなことがないのだ。

逆に言えば、食事がしっかりと摂れていれば、睡眠時間が多少

減ってしまっても何とかなる。少なくとも僕はそうだ。


どうも前置きが長いのが僕の欠点だ。


本題。


先日、会社の別のセクションで働く僕の後輩が、「僕もいよいよ

パパになります」と報告してきた。今年の11月に出産予定との

こと。募る不安をぬぐいきれないといった様子。まさか自分が

父親になるなんて、という感慨は男なら誰しも抱くものだろう。


その後輩が更に、「実は、育児休暇を取ろうかと考えているん

です」と言う。


「いいんじゃない」と僕はすかさず答えた。「しんどいけど、育児

ほどやりがいのあることはないよ」


僕はたった半年間で人生観というものをすっかり変えてしまっ

た。育児と家事がこれほど根気と体力を要する労働なのかと

知り愕然としたのだ。そして、その中に大いなる喜びを見出し

た。


後輩にも、僕とは異なるものであれ何かしら感動が待っている

筈だ。そして、できうるならば、世の全てのパパたちにもドラス

ティックな価値観の転換を体験してもらいたいものだと思う。


とりあえず、我が社では、男の育児休暇取得者は、僕に続いて

第2号が誕生する。

はいった!

はいった


今日、パパはひとりででかけて、太樹用品を幾つか購入して

きた。そのうちひとつが、「どろっぷいん」という名のおもちゃ。


箱の側面に様々な形の穴があり、その穴を通してこれまた

様々な形のブロックを箱に入れて遊ぶというよくある形態の

もの。


帰宅して早速太樹に与えてみると、案の定「カッ」と目を見

開いては近寄り、その「どろっぷいん」をいじり始めた。

最近は、何かというと隙間に物をいれることを好む様子なの

で、もしかしたら「どろっぷいん」みたいなものにも興味を

示すだろうなと思っていたのだ。


声をかけたり、入れるべき場所はここだよなどと促しつつ

観察していると、どうやら太樹は一番最初に「まるの形」を

認識したようだ。ひし形や台形という複雑な形のものよりは

確かに判りやすい形だよな、と単純なことに感心したりする。


何より驚き、そして感動したのは、そのまるの形の穴から

円筒形の木を入れた時に、太樹が


「はいった」


と叫んだことだ。


いや、より正確には、


「はった」


なのだけれど、ブロックを入れる度にそう叫び、喜びを顕に

する。まさか本人が「入る」ということばの意味まで理解して

いるとも思えないけれど、きっと保育園で誰かの行動を見て

いるうちにインプットされていたのだろう。


ああ、きっとパパの知らないところで、様々なものを見て何

かを感じ、記憶し、それをどこかでアウトプットしたいという

欲求を抱えているんだろうな。


さて次は、何でこちらを驚かせてくれるか。



写真:「はった」の直前の姿。おむつまるだしで失敬。

「ま”」

7月になってから積極的にアンヨを始めた太樹。

とりわけ最終週には歩くのが楽しくて仕様がない雰囲気で

ある。


今日の最高記録は、8歩。台所のキャスターにつかまり、

そこから狙いを定めるようにして床の一点を見つめ(という

か、睨みつけ)、「えいやっ」とばかりに歩みだした。


ヨタッ・・・・ヨタッ・・・・


と、どうにも頼りないが、そこがまた可愛い。両腕を前方に

伸ばした格好は、さながらジャイアントロボだ。


「ま”」


決して慌てたり焦ったりしたくはないけれど、我が子が1日

もはやく歩いて欲しいというのは親なら誰しも願うことだろ

う。


小さな足で土を踏みしめ、茂った草を感じ取り、両手を伸

ばし、頼りなげでもその目には揺るぎない自信と確たる

希望を光らせ、「パパァァ」と歩み寄ってくる太樹の姿を

想像すると、大嫌いな満員通勤電車の中でも、パパは

ニコリと微笑むことができる。

そんなのちょっと不気味?


月が変わる。新たな気持ちでまた頑張ろう。



延期されたオペ

「人生とは、あることを計画している時に起こる他の

できごとである」

(Life is what happens when you are making

other plans.)


何かというと、こういうことだ。


以前、太樹の「陰嚢水腫(インノウスイシュ)」について

書いたことがある。

要するに、おちんちんの袋に水がたまってしまうという

症状だ。それ自体はとりたてて弊害がある訳ではない

のだけれど、放っておくといずれおちんちんの袋に腸

が下りてきて所謂ヘルニアを患う可能性がある。


1歳を過ぎると自然に治ることはないから、手術をした

方がいいでしょうね、と医者は言う。しかも、するなら早

い方が賢明である、と。何故なら、身体の筋肉が発達

していない時期の方が術後の負担もなく(つまり術後に

痛みが伴わないらしい)、子どもも覚えていないし、との

こと。


7月28日(木)に最寄の大学病院に入院し、翌29日

に手術。そして、30日には退院という計画だった。


そう。それは、「だった」・・・・・のだ。


7月27日(水)の夜、風呂上りの太樹の額が妙に熱い。

嫌な予感がした。そして、楽観的なパパの精一杯の

希望的観測でもっても、このままでは入院は延期になる

だろうなと思った。


そして、勿論それはその通りになった。入院予定日の朝の

熱は37度後半。。一応、ママには病院へ行ってもらって

診察を経てから先生の判断をあおいでもらうことになった。

しかしやはり、手術は見合わせた方がいいだろうというこ

と。入院・手術のために夏休みを取っていたママは、結局

家で太樹の看病をすることになった。


まあ、仕方がない。そう思うしかない。


幸い(というのも変だが)パパはまだ夏休みを取得していな

い。好きな時に取れるシステムなので、次こそは日程通り

に手術をし、しかもパパが3日間太樹に付き添うのだ。

あれ? 何か楽しみにしてる?

そんなことはないけど、「陰嚢水腫」自体が病気ではない

から、こちらとしても精神的に切羽詰まっている訳じゃない

ことは確か。


それよりはまず熱を下げないと。今日でもう5日だぞ。寧ろ

こっちの問題の方が切羽詰まっている。



滅私奉公、いざ仕らん

いばる


食事の際は、フォークで刺したおかずを自ら口に運び、

お椀から味噌汁をぐびぐびと飲み、デザートになると

(特にメロンや桃といった高級フルーツになると)両手で

鷲づかみにしてむしゃむしゃと頬張る太樹。


このところ食べる量にも変化が生じてきたとパパもママも

実感しているけれど、その分(というか、それと呼応する

ように)意思表示もはっきりとしてきた。


おかずのあとにご飯をあげようとすると、「んんんっ! ん、

んんん!」と首を振りつつ手で明確な「NO!」のサインを

する。

じゃあ、味噌汁が欲しいのか、と思ってお椀を近づけると

これまた「ん」と威張ったまま口を開けて味噌汁が近くまで

運ばれるのを待ち、然る後(前述の通り)ぐびぐびと飲む。


社長(若しくは殿様)然としてきた。


太樹が自分でやれることが増えてくれるのは嬉しいけれど、

また違った次元での悩みや苦労がこちらにのしかかって

くる。育児に携わる限りそうしたものなのだろうと達観しよう

としても、達観しきれないのが凡人の常。


こちらが面倒を見てやる、という立場を取るよりは、本当に

社長(若しくは殿様)に仕えるのだ、という認識で育児に

臨んだ方が気が楽かもしれないなどと思う。徳川家康に

対する本多正信のように、伊達政宗に対する片倉小十郎

のように、上杉景勝に対する直江兼続のように(渋い人選

になったのは、あくまでパパの趣味。日本史、特に戦国から

幕末期が大好きなので・・・)。


ちょっと弱気な語調になっているのは、最近極度に疲れが

たまっているから。甘い顔ばかりもしていられないよな。


ふう。



写真:参勤交代のため駕籠にのって江戸に向かう殿。

無理やり

無理やり


最近の太樹の趣味:狭い衣装ケースやら、積み木ケースやら、

ダンボール箱やらに無理やり入り込む。自分より小さいものに

さえ押し入ろうとする。


自ら脚を「えっこらせ」と持ち上げ、やがて箱やらケースやらに

身体を収めたときの嬉しさは相当なもののよう。至福の笑みを

浮かべる。


「そういうのが好きなら、何か適当な大きさの箱を買ってあげ

よう」と決めて買い与えたとしても、そういう物には一切興味を

示さないんだろうな。以前、ヘアブラシで実証済みだし・・・・。


写真:太樹が左右に揺れるのでぶれてしまった。